練馬総合病院

練馬総合病院について

練馬総合病院について

練馬総合病院は東京都で戦後はじめて認可された病院です

わたくしたちの病院は、太平洋戦争敗戦後の荒廃の中(昭和23年3月)、地域によい病院が欲しいという、地域住民の情熱によって設立されました。
池袋駅から西武池袋線に乗り江古田駅で下車、当時の周辺環境は直接爆撃を受けなかったおかげで古い木造の家が残り畑が多く、東京都内といえど雑然とした田舎町でした。

さつま芋畑を整地した土地に木造2階建て100床の病院が建設され、昭和23年3月15日に開院式を行いました。それが今日の練馬総合病院のはじまりです。

開院当初は「練馬病院」という名称でした。
その後、昭和25年に診療科目が内科・小児科・外科・産婦人科・皮膚泌尿器科・耳鼻咽喉科・眼科の7科になり、労災指定病院になりました。昭和28年には利用組合出資金を基礎に「財団法人東京都医療保健協会東京練馬病院」へと発展しました。

名実ともに、地域住民による、地域住民のための、地域の病院です。理事、評議員の過半数が地域住民です。現在まで、地域住民や職員の努力により、幾多の苦難の道を乗り越えてまいりました。

結核療養にも力を入れた当時でした

昭和26年の統計では日本人143人に1人がかかっていた結核。

当時はかなり深刻な病気でした。このような医療情勢を受け、結核療養にも力をいれた医療をおこないました。

昭和30年には東京都職員組合の要望を受け結核病棟を80床に増設し、最も多かった時(昭和32年)には、その病床数は156床を数えました。

総合病院として

昭和37年に「総合病院」としての現在の名称になりました。
地域医療を担うために、総合検査室・解剖室・図書室・病理室・講堂を備え、診療に更に重点を置き医療本来の使命が達成できるような体制を整えました。

昭和45年、病院の敷地を拡大し建物の増改築を行い、鉄筋地下2階、地上7階、245床の建物が生まれました。当時としては画期的かつ機能的な病院として新しい病院が建設されました。

ナースセンターをオープンカウンター方式に設計したり、各箇所で連絡がとりやすいように各部署ごとに通信網を張り巡らし情報の伝達に努めるなど、今でこそ当たり前のようになっていることですが、その頃としては近代的な高層建築として生まれ変わりました。

新しい医療をめざして

当院では時代ごとに最新の設備を備え、職員教育を実施して、地域のみなさまによりよい医療を提供できる体制を構築しております。

昭和60年の第1次医療法改正による地域医療計画から、経営状況は急速に悪化しました。

昭和61年にはCT(コンピュータ断層撮影装置)を導入しました。

平成2年、多様化する生活様式により増加している成人病をいちはやく発見・治療できるように、1日人間ドックを開設しました。

平成2年7月、運営委員会を設置し経営改善を検討しました。

平成3年1月、梅内正雄理事長が死亡退任し、上野定雄理事長が就任しました。

同年3月、飯田修平院長が就任し、組織改革が始まりました。「職員が働きたい、働いて良かった、患者さんがかかりたい、かかって良かった、といえる医療をおこなう」を理念として全職員に明示しました。目指すべき方向を明らかにし、仕組みを再構築し、医療の質向上に務めました。

同年に在宅医療室を開設し在宅医療が必要な地域の患者さんに対しても病院が利用していただけるようになりました。

平成4年にはMRI(磁気共鳴診断装置)や、検査システムを導入し更に詳しい診察と早い検査結果の提供ができるようになりました。

平成6年10月、就業規則を全面的に改定しました。第1条に病院の理念を明記し、病院が望む職員のあり方、働き方を示しました。飯田院長の就任挨拶を、理事会に諮って理念としたものです。

平成8年から、医療の質向上活動(MQI:Medical Quality Improvement)を開始しました。質重視の経営、すなわち総合的質経営(TQM:Total Quality Management)の実践に務めています。

平成10年に創立50周年を迎えました。日本医療機能評価機構の認定病院となりました。

平成12年10月、練馬区病院将来構想の運営主体となるべく、上野理事長が退任され、飯田院長が理事長を兼務しました。

平成13年1月、病院の理念を、「職員が働きたい、働いて良かった、患者さんがかかりたい、かかって良かった、地域が在って欲しい、在るので安心、といえる医療をおこなう」と改定しました。
残念ながら、練馬区病院将来構想の運営主体に選定されませんでした。

平成15年9月、新病院構想の実現に向けて皆様のご支援をいただくために、練馬総合病院の設立の原点に戻って、地域の代表という形で林芳男理事長が就任しました。

平成16年は前年の目標達成が不足しているとの反省を込めて、また、地域の皆様の当院への要望やご支援に応えるためにも、再度、現状打破と原点回帰を掲げました。業務全般を見直しするために、情報システムを再構築し、同年2月、厚生労働省の補助金事業として電子カルテを開発し導入しました。

新病院への移転

平成17年4月、江古田に念願の建設用地を取得し、9月には、新病院建設を着工しました。

平成18年11月30日に竣工、12月23日に竣工祝賀式、12月30日に大きな問題もなく移転しました。

平成19年1月4日、診療を開始しました。

平成20年は、病院機能評価再受審、60周年記念事業をおこないました。
新築移転後の2年間は計画通りにはいかず、厳しい状況でした。

平成22年は、社会の医療に対する厳しい見方が良い方向に変わり、事業計画も順調に推移しました。

平成23年3月、適格退職年金制度廃止に伴い、確定拠出年金制度に移行しました。3月11日の、東日本大震災では、エネルギー、特に、電力・石油の確保が大きな課題として浮上し、ガスコージェネレーション非常用発電機を追加設置しました。8月には、林芳男理事長が逝去され、飯田修平理事長となりました。10月から、臨床研修棟建設、地域医療情報連携システム構築、改修工事等を実施しました。

平成24年4月1日、財団法人東京都医療保健協会は、東京都知事より公益財団法人の認定を受け、「公益財団法人東京都医療保健協会」へ移行し、当院は「公益財団法人東京都医療保健協会練馬総合病院」として新たな一歩を踏み出しました。

平成25年に4回目の病院機能評価を受審し、更新認定を受けました。また、病院および医療の質向上研究所の業績として、書籍の出版のほか、雑誌、学会、研究会に多くの報告をした実績が評価され、「医療の質向上研究所」が、同年10月10日付で、文部科学大臣から科学研究費補助金取扱規定に規定する研究機関に指定されました。

平成27年1月、道路を挟んだ病院の前に、質に関する部署を移転し、「医療の質向上研究所」の看板を掲示しました。部署間の壁を取り払い、情報共有・連携をさらに強化しました。

平成28年2月26日、ココネリホールにおいて、医療の質向上(MQI)活動20年記念式典を開催しました。今までにご支援・ご協力を頂いた関係各位のご来駕を得て、激励のお言葉を数多く頂きました。また、医療の質向上(MQI)活動20周年記念誌と記念DVDを作成し、参加者に配布しました。また、同時に、病院紹介DVD,看護師募集DVDを新たに作成しました。

平成28年3月 日本政策投資銀行のBCM(事業継続マネジメント)評価を受け、Aランクの格付けを頂き、また、ビジョナリーホスピタルに認定され、日本経済新聞等に紹介されました。

平成30年に5回目の病院機能評価を受審し、更新認定を受けました。5回の認定を受けているのは、全国で20病院、東京都では5病院です。

令和2年4月1日、発熱外来を開設しました。新型コロナウイルス感染症蔓延に伴い、一般外来患者との導線や診察を区別する必要がありました。当初2か月は健診センターで診療しました。

令和2年8月、飯田理事長・院長が、院長を退任し理事長に、柳川副院長が院長に就任しました。

令和2年12月10日、練馬総合病院旭丘診療所を開設しました。千川通り沿いの近隣(旭丘1-32-9-1階)に開設しました。令和3年1月4日より小児科、漢方内科の一般診療を開始しました。

令和4年6月28日、飯田理事長が退任し名誉院長に、柳川院長が理事長に就任し院長と兼任となりました。

 

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